(2014年4月、某日。)
すっかり季節は春になり、武蔵坂は新学期から一週間が過ぎている。目の前で正座するこの無口も、高校三年だという。窓辺から見える日はあいにくの雨で、どうにもこいつの部屋に来る時はいつも雨に降られている気がしてならない。
「勉強はどうよ」
「…やはり、数学は難しい」
明らかに泳いだ視線からして、中身は、相変わらず伴わないようだが。
自主的に真面目に補習と復習を受けている辺りは、成長していると信じたい。
だが甘やかすのは俺のやる事ではないので、五月の勉強合宿にぶち込んでおこう。
…二ヶ月前の事を、今更引き合いに出したくはなかった。それでも、
「悪いな」
小首を傾げる姿から、どうして謝るのだろうか、という言葉を読みとり、直近の出来事にすり替える。
「戦争お疲れさんって意味だよ」
なるほど、という僅かな表情の動きを見ながら、あの日連絡してきた美晴さんの言葉を思い出す。
「もう二日間、ずっと眠ってて」
あの時は気付くのが遅かった、としか言いようがなかった。これまでも他の灼滅者のサポートに向かった事はあれど、初めてだった、初めて彼は「宿敵」と対峙したのだ。
すぐにでも会いに行くべきだったと、後悔しても、あいつは気にはしないだろうが。
俺や組織用に書いて提出する彼の書く文章は、とても「報告書」とは言えない中身であり、結局は学園が所有する報告書を読む。えらくぎりぎりの勝負だったようで、それでもほぼ完璧に等しい結果は、他の生徒との連携があったからこそだろう。
それから一ヶ月と経って、ようやく顔を見に来れた時も、いつも通りの無表情、いつも通りの緩やかな雰囲気。「元気か」という問いに、こくりと頷く姿に安心した。
ふと、薄手になったネックウォーマー越しに、声が紡がれる。
「そういえば、二ヶ月前。二日間眠っていた時に、不思議な夢を見た」
こちらが蒸し返したくないことを、よくもサラッと。聞いてほしい言葉だと言うなら、聞いてやるのが一応保護者の勤めだ。
「よく思い出せないが…夕焼け空に夜が来ていて、雨が降っていた。向こう側に誰かが居て、それが誰かは逆光で分からなかった」
へぇ、と一言返すのが、精一杯だった。
「誰かが笑っていた、分からない誰かだったのか、自分だったのかは分からない。」
他の担当するガキと同じだ、どいつもこいつも、皆こっちが一瞬怯えるような事を言う。
やはり、あの二日間、無理にでも居てやるべきだったと、思った。そこまでするほど、思い入れる必要は無いとしても。
「今もその夢、見たりすんのか?」
問いかけに、首を静かに横に振る。
そうか、と返事を返してやり、次に同じ報告をされた時の対処を考える。
「そういやお前、最近の報告書見ると、やたらスサノオにこだわってんな」
「んん…そんなつもりは、ないが」
ぱらぱらと読み漁る限り、白い狼の呼び出した古い伝説との対峙が目立つ。
「なんだ、妖怪にでも縁があんのか」
「んん…分からないが。…なんとなく、気になる」
―逢魔時、魔の物と出逢うと畏れられた時間。
こいつが妙にスサノオに惹かれているのは、そういう事かもしれない。
「無茶すんなよ、鬼太郎。目玉の親父はいねーんだからな」
「…目玉の、親父とは」
「今度自分で調べろ、お前の興味ありそうな話だから」
それはそれとして、
「こないだ見せなかったテスト、今すぐ出せ」
このやり取りは、いつまで続くのか。担当する全ての子供達と変わらない会話が、ずっと続けばいいと、勝手に俺が願っているのか。
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